今日は憲法記念日ですが、戦後70年の歴史の中でこれほどまでに憲法論議、特に改憲論議が噴出していることはこれまでなかったのではないでしょうか。
安倍総理は、改憲=前向き、護憲=後ろ向き、というレッテルを貼り、兎に角日本国憲法を変えるという発言を繰り返しています。
しかし、その発言のどれをとっても、改憲の理由にはなっていないと思いますし、論理的にも矛盾だらけのものです。
ましてや、この憲法下での日本は、平和で平等な社会の下、著しい経済成長や科学技術の進歩が得られおり、その成果は日本国憲法が今の形だったからこそです。
一方、近年の過疎化の進行や、少子化、格差の拡大などは、地方自治や教育、生存権などこの憲法の理想に対して、むしろ政治が機能していないことに起因するものです。
ですから私は今すべきは、改憲ではなく、むしろ今の日本国憲法をしっかりと実現していくことが今求められていると考えます。
逢坂誠二氏のブログに憲法記念日のエピソードが出ていますので引用させていただきます。
以下引用・・・
憲法記念日は、1947年(昭和22年)5月3日に、現在の日本国憲法が施行されたことを記念して、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法によって制定された。
この憲法記念日に関し、当時の法制局長官の入江俊郎さんは、『日本国憲法成立の経緯原稿5』で次のように記している。
==以下、引用開始==
新憲法は昭和二十一年十一月三日に公布された。
この公布の日については二十一年十月二十九日の閣議でいろいろ論議があつた。
公布の日は結局施行の日を確定することになるが、一体何日から新憲法を施行することがよかろうかというので、大体五月一日とすれば十一月一日に公布することになる。
併し五月一日はメーデーであつて、新憲法施行をこの日にえらぶことは実際上面白くない。
では五月五日はどうか。これは節句の日で、日本人には覚えやすい日であるが、これは男子の節句で女子の節句でないということ、男女平等の新憲法としてはどうか。
それとたんごの節句は武のまつりのいみがあるので、戦争放棄の新憲法としてはどうであろうか。
それでは五月三日ということにして、 公布を十一月三日にしたらどうか、公布を十一月三日にするということは、閣議でも吉田総理、幣原国務相、木村法相、一松逓相等は賛成のようであつたが、明治節に公布するということ自体、司令部の思惑はどうかという一抹の不安もないでもなかつた。
併し、結局施行日が五月一日も五月五日も適当でないということになれば、五月三日として、公布は自然十一月三日となるということで、ゆく方針がきめられた。
公布の上諭文は十月二十九日の閣議で決定、十月三十一日のひるに吉田総理より上奏御裁可を得た。
==以上、引用終了==
憲法の施行日について、
こんな議論があったとは知らなかった。
引用終り・・・
こんなエピソードももっとみんなが知ることで、今の憲法を大切にする機運を高めて行きたいものです。
コメントをお書きください