岩手県釜石市は、昭和12年には市制施行され、昭和30年に隣接4か村を合併し、昭和38年には9万2千人を数えましたが現在は人口3万7千人、面積440㎞2ほどの、新日鉄釜石ラグビーチームで有名な『鉄と魚のまち』です。
東日本大震災では、
・市の本庁舎は高台沿いの海抜15mほどの地盤に立っていて、玄関先まで津波が来襲したが、建物内への被害は免れた
・津波来襲時に庁舎屋上から撮影していた状況を放映
・公共ふ頭に津波が押し寄せてからおよそ3分ほどで第1波が庁舎の玄関先までおよんだ
・庁舎から海の方向に広がる敷地では木造建物のほとんどが流失
・浸水面積は7㎞2、4割が市街地等住宅地、地盤沈下(60~120㎝)
・人口39,996人中、死亡者774人、行方不明者152人
議会では
・3月11日 定例会本会議中に発災
・議員の動き
・職場に向かった議員2名
・避難場所に向かった議員2名
・消防団として向かった議員3名
・議会に残った議員13名
・3月16日 定例会が自然閉会、38議案審議未了により廃案
・10日ほど安否不明の議員がいた(連絡網が途絶)
・議会事務局員は支援物資担当となったため議会としての動きに制限
・議会は災害対策本部に組み込まれていなかったため議会としての役割が不明確だった
・3月31日 市役所本庁舎で3月臨時会と全員協議会を開催、録音設備のみ動かせる程度の電力復旧状況
・住基などは被災を免れたが、都市計画の書類が水没流失するなどした
・BRTの導入は線路を一旦撤去してしまうと、鉄路には戻れないことが予測されるので、鉄路での復旧を求める
・支援物資の支給に各地区で議員に住民対応をしてもらい、比較的スムーズに進めていただいた
などを事務局の方から丁寧に説明いただきました。
釜石市には大きく8つの地区があり、地区によって被災者数に大きな違いもあるようです。
特に鵜住居(うのすまい)地区では、人口6,630人の内、死亡者が458人と突出しており、何とも痛ましい限りです。
今回、2市の他にも、大船渡市なども道中で見学をさせていただきましたが、昨年5月に宮城県に参った時には、被災した建物と瓦礫が山積になっていましたが、瓦礫はほぼ片付けられ、被災した建物も保存を予定しているもの以外は全て撤去されており、町の中に入って行ってもそこにまちがあったとは気が付かないくらいに何もなくなっている状況になっていました。
この状況はフクシマ第1原発周辺ではまた違うものですが、復興の足音も少しづつではありますが、歩みを進めているようです。
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